愚痴ステーション

しんどい気持ちなので、タイピングでぽちぽちして落ち着こうという気持ちで打っている。他人の家庭の闇を覗きたい人へ。

 

ご飯を食べようとかお風呂に入ろうとか洗濯しなきゃとか化粧落とさなきゃとか、すべて生命維持活動だなと思って空しくなってしまう。鬱の淵のような気持ちなのに、なにをおいしいものを食べてやがるんだろう。身体を清めて明日の仕事に備えていやがるんだろう。空しい。

 

家族の話。

歳の離れた兄と姉がいる。私が小学校のころには兄、姉は結婚していた。若くしてデキ婚だったので、兄夫婦と姉夫婦は、私が両親と暮らしていた実家に転がりこんできた。小さな一軒家に一時期は三世帯住んでいた。

 

小学生なりに、他人と暮らしたり急に人が増えたストレスはすごかった。もともと大勢と過ごすのは得意じゃない。大人たちはもっとストレスだったのだろうけど。

 

義理の兄とかまじ最悪。居間でゲームしててゲームに負けると「クソゲーが!!」とか言って当り散らしたりする。嫁の実家でようやるな。

わざとではないんだろうけどお風呂入るときに脱衣所入ってきたり。「あっ!ごめん!」みたいな。風呂入るのマジ怖かったわ。小学高学年だぞ。気いつかえや。

いまでもお前のこと好きじゃない。秋田に帰れ。

 

ダブル夫婦が転がり込んできてから、家計は厳しかったと思う。状況は聞かされてなかったけど大人のピリピリを感じとって何も欲しいと言えなかった。

 

学校のノートとか。年頃にシャンプーもワンプッシュみたいな。体育がある日もジャージがないし、買ってとも言えないし、真冬に短パンジャージで登校したり。お姉ちゃんは何も知らず「学校のノートくらいお父さんに買ってもらいなよ、おこづかいなくなるよ」って言うけど言えるかよと思った。気を遣ってると子供っぽくないので「えっと…」とか言ってた。

みんなで集まる空間が嫌なのでご飯だけ食べたらすぐ部屋に行った。物置みたいにしてた部屋だったんだけど、兄たちが来たので自分で開拓して使ってた。着ない服とか使わない箪笥とか机だらけの部屋だった。子供だったのであんまり気にしなかった。

 

お姉ちゃんとお兄ちゃんは普通に暮らして大人になったんでしょうけど私はおまえらのせいで子供時代がつらかった。このころから早く大人になって解放されたいと思った。

 

小学校の最後あたりで、夜中に父の部屋から、父の怒声と母の声がした。母は私の名前を呼んで「助けてー!」と言っていた。父は日頃は暴力を振るう人ではなかった。揉めたんだろうな。母はパチンコばっかり行ってご飯つくってくれなかったり、借金もつくっていたみたい。そうやっていつも父と話し合っていた。

母の叫び声に「どうしたの」と言ったけどこわくて声が小さすぎた。父の部屋まで全然届かなかった。届かなくてよかった。あの日父の部屋に行かなくてよかったと思う。

こわくてすぐ布団をかぶった。心臓がばくばくして吐きそうだった。吐いたら起きてるのがばれるので必死に頭の中で歌を歌った。これ打ちながらもつらい。泣きながら打っている。

 

その日の朝に母が私に「お母さん家を出ていく。あんたも連れていくから。」と言った。私はもう家族の破綻を感じていたので、他の家族に気づかれないよう、静かに泣きながら頷いた。母と一緒に物件探しをしているあいだの、父に対する気まずさはすごかった。

 

中学に上がるときに両親が別居した。母は夜勤もある仕事をしているので、家で一人で過ごすことが多かった。

両親は別居したが離婚はせず、父と母の仲は次第に回復していった。適正距離ってやつだったのかなと思う。いまではほとんど同居に戻っている。

中学の頃にも母のパチンコ癖は治らない。ご飯つくってくれないし買い物や映画館の約束は果たしてくれない。パチンコばっか。

兄はここで二度目の離婚をする。母は兄が一番可愛いので、私より構っていた。私が具合悪い時もそんな感じだったので根に持っている。お前の息子はバツ2のおっさんだぞ。おい。

 

そして私は公立高校を受験した。学費がかからないから。私立も受けたけど公立が落ちたら中卒でいーやとか思っていた。受験もテキトーにした。「制服が可愛いので受験しました」とか言った。公立高校が受かったので中卒回避。

田舎のいちおう進学校でもあったので兄姉も両親も喜んでくれた。兄たちは私立高校出身だったので「私が一番お金もかからないしいい子だな」と思っていた。

このころ母は仕事のスキルアップのため通信学校に通いだす。うまくいけばあんたと一緒に卒業よ、と言っていた。

 

高校に入ったあとも母はパチンコばっかりしていたので一度「いかないで」って言ったんだけど、パチンコ行ったから家にチェーンかけて母が入れないようにしたりした。「なんでこんなことするの?」みたいなメールがきたけどまじかよと思った。

そして安いはずの学費も滞納して事務室にメッチャ呼び出された。電気代も何か月か払っていなかったらしく止められたり。それらは父が代わりに払ってくれた。

 

高校二年生の冬、バイトにハマって荒稼ぎした。学校はさぼったらバイトに行かせてくれなくなるのでちゃんと行った。ふつうのサービス業だけどたくさん入って、月15万ほどは稼いでいた。仕事を覚えるのは学校より楽しかった。

通信学校生である母はレポートを提出し損ねて留年になる。私と卒業はできないことになった。

 

バイトばっかりしてたので他のことはめちゃくちゃ疎かになった。勉強も部活も。担任からは進学を推されたし、私もモラトリアムを延長したかったのだけど、親に進学の話をしてもぴんときてないか、やんわり断られてるのかな…という感じだったのでみんなが受験にピリピリしているところをスルーした。

同級生から「君は自由でいいなぁ」と悪気もなく言われたこともある。そうかよ。

 

高校三年生の冬頃、バイト中に母から「帰ったら話したいことがあります。」と連絡がくる。

帰って、何?と聞くと「お母さんの学校ね、学費を払わなきゃいけなくて……今月学費を納めないと退学になるから。どうしても払えなくて…このまま二年頑張ってきたのに諦められなくて。それで、あなたの机の上にあったお給料を…借りました。」

 

は???みたいな。

机の上にあった現金20万ほど。

を???????事後報告??????

高校行きながらクソ働いて得たお給料を??????

疲れてるところも眠たがってるところも知ってるのに??????

 

母の手癖の悪さには覚えがあって、姉たちもお年玉を預かる~とか言って使われていたらしい。だから私はブワッと怒りがこみあげてきて、

 

借りましたって何? 盗ったんでしょ?

と言った。母はいえ、借りました。みたいな。こわ。こわ。こわ。

 

それからひと月ほどで、バイト先の人にも協力してもらって物件を探して家を出た。当時まだ高校生だったので保証人は親しか認められなかった。母に有無を言わさず判子を押させた。

高校生で飛び出して一人暮らしはなかなかつらかった。さむいし。最初の年越しとかテレビなくて寂しかった。食費ない時もあったし。

 

そのままバイト先に就職して今に至る。全然元気だけど、鬱かな~~!?!?みたいな瞬間はある。大人になってからなぜか肌荒れもすごい。胸がざわざわする時が月一である。

わたしの人生どこで止まってるのかな。

 

父は少し前に酔っぱらって「おまえには寂しい思いをさせたねってお母さんと話したんだ」とか言ってた。今更いうなよ。私は子供のころに一人で生きる選択をしたんだよ。孤独に決まってるだろ。

 

兄ちゃんも姉ちゃんも。

お母さんの手癖が悪いのをどうしてあなたたちの代で治してくれなかったの?

子供に罪はないけど、自分たちで生活できないのなら子供つくるなよ。お前らは普通の子供時代を過ごせただろうけど、私はそうじゃなかったよ。お前らのせいでな。無神経に「次結婚するのは末っ子だね~」みたいな話をするな。お前らの例でもうお腹いっぱいだわ。

 

私はお母さんみたいに片づけができない。掃除も皿洗いも溜めっぱなしだ。こわい。私は母のような女になる。いやだ。今日も汚い部屋で泣きながらこれを打っているのだ。

「部屋汚い!」と言われると「愛情を受けて育ったお前とは違うんだ!!」とか思ってしまう。本当に悪いのはなんなのだ。掃除できない巣に育ったことなのか、掃除できない私なのか。わからない。

 

家族はのろいだ。

愛のある家族が、毎日ご飯をつくってくれる母が、心底疎ましくていつでもはちきれそうだ。

 

 

大人になったので親ともきょうだいたちとも仲良くはできる。

 

でもいつでも縁は切れると思う。おそらくこういう風に思ってるのは私だけなんだけど、家族行事の幹事はだいたい私だ。

いつまで、理想の家族を追えばいいんだろう。